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2019年12月の記事一覧

今日の給食(122)


お待たせしました。
今日の給食の時間です。

今日の献立は「白玉団子汁」「ぶたにくとキャベツのみそいため」「ごはん」です。



ぶたにくとキャベツのみそ炒めは、
肉料理ですし、キャベツとの相性も良く
PCでメニューを検索すると
どこまで続くのか、
「尻尾を見るころには、
 頭がどうだったのか
 わからなくなるほど
 長い」
と、スイミーが思うほどたくさん出てきますね。
人気メニューだけあって
おいしくいただけました。

それとともに
いつも寒くなるとありがたくなる
「スープ」系の
「白玉団子汁」もおいしかったです。

ちょっとシイタケ独特の香りが強いかな、
とも思いましたが、
これはシイタケの特性として仕方がないようです。

シイタケには、
硫黄を吸収する「レンチオニン」
という成分があるらしく

自然界にあまり存在しないもの
=あやしい
=食わんほうがいい
=嫌い

という
「風がふけば桶屋が儲かる」
式の理屈で
嫌いな子が多いらしいとのことです。

もっとも大人になると
その辺のへ理屈のような
理由は通じなくなる
ということと

何度も食べたので
独特の味と香りに慣れてくる
との理由で
「嫌い」ではなくなることも多いようです。

要するに
「シイタケが嫌いなんて
 まだまだ子供だね。」
と言う事なのでしょうか・・・・・

ほんとかね?
(校長)
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ボランティアの心


今年度は、
清掃の時間が少なくなったこともあり
学校もいつもきれいというわけには
行かないのですが、
子供たちが帰った後とか
ちょっとした隙間の時間に
先生たちや子供たちが
ボランティアで掃除をしています。






ありがたいことです。
(校長)
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今日の給食(121)


お待たせしました。
今日の給食の時間です。

今日の献立は「ポトフ」「マカロニサラダ」「米粉パン」です。



「ポトフ」は大きめの野菜と肉を
時間をかけてことことと煮詰め、
柔らかくしたものを細かく切ってから食べる
とのことですので、
今日の野菜も、
検食の時間でもはっきりわかるほど
とろとろに煮てありました。

手順書の煮込み時間が
ビミョウに変えてあるんだなあ、と感心しました。

野菜が箸で切れるほどに柔らかくしてありましたので、
子供達も食べやすかっただろうと思いました。
とてもおいしくいただけました。

マカロニサラダも、マカロニがで~んと座って
「炭水化物攻撃」かなあ、と思いましたが
そうではなく、
「ツナ」や「きゅうり」「コーン」などと
うまくバランスがとってあり、
彩と一緒においしくいただけました。
(校長)
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今日の給食(120)


お待たせしました。
今日の給食の時間です。

今日の献立は「キムチ汁」「みやざき黒豚のメンチカツ」「キャベツとコーンのサラダ」
「ごはん」です。



宮崎黒豚のメンチカツは地産地消メニューです。
鹿児島の黒豚もおいしいですが
宮崎黒豚も負けてはいないですね。

二つ並べてどっちがどっちだと言われれば
たぶんわからないのですが、
「宮崎産はおいしい。」
と言う事は間違いないと思います。

このような「地産地消」の献立は
とてもうれしいのですが、

「地産地消」は、もともと
「身土不二」とか
「医食同源」とかいわれた
「東洋医学」から得た発想で

メンチカツのような
「西洋料理」に適用するとは
「笑止千万」
「本末転倒」なのではないかと、
「疑心暗鬼」になりましたが、

そこは、
「八百万人」の神を従え、全て現世の
「森羅万象」や
「因果応報」を
「一期一会」として受けいれるほど
「天真爛漫」な
「東洋思想」のもと
「学校給食」を提供いただく
「三股町立」
「学校給食」センターの皆様のこと、

これくらいの
「玉石混交」や
「呉越同舟」は
「明鏡止水」の心境で、
「天空快闊」に対応いただき、

「言語明瞭」
「意味不明」な
昭和のおじさんの独り言を

DAIGO君のお爺ちゃんを
思い出しながら、
きっと許してくれるでしょう。
(校長)
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お知らせです。


おはようございます。
本日は2つほどお知らせをいたします。

実は来年度は運動会の期日を
5月24日(日)
にずらすことを考えています。
暑さ対策、熱中症対策と言う事が大きな理由です。
ご意見等がございましたら
学校(校長・教頭)までご連絡ください。

次は、家庭教育学級からのお知らせです。

12月22日(日)
三股町に
古くから伝わる
「門松つくり」

を行います。


門松と言えば



このような3本の竹を斜めに切ったものが
一般的のように思われていますが
実はこれは「徳川家」由来の門松でありまして
さつま藩や飫肥藩などでは3本の竹は
使いません。

外様大名であった「島津」や「伊東」が
地元で「徳川」に媚を売る必要がなかったからだと
言われております。

当然三股に近い「都城島津藩」でも
下のような門松をつくっています。






であれば当然「都城島津藩」の支配下
にあった宮村でも、
当然門松は
このようなものであったと
私は勝手に思っています。

もちろん三股町に伝わる門松が
本当にこうものだったのか
古文書も画像も残っていないのですが、

ご高齢の方が

「じゃひたなあ、
 むかひかいん かどまっは
 こげんやひたなあ。」

とおっしゃるので、それが事実だろうと思います。

まだ参加者の枠に空席がありますので

家庭教育学級生以外の
関係者の皆様の参加も
可能になりました。

参加希望の方は連絡をお待ちしています。
よろしくお願いいたします。
(校長)
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