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校長室だより

修学旅行6


先ほどの「モスラ」
実は作曲はかの有名な「古関裕而」先生です。

え?知らない?????

本年度の本校運動会入場行進曲「東京オリンピックマーチ」をはじめ
甲子園のテーマ曲「ああ栄冠は君に輝く」
巨人軍テーマ「闘魂越えて」
阪神テーマ「六甲おろし」
中日テーマ「・・・・・・」(ごめんなさい、忘れました。)

などなど皆様一度は耳にしたことがある音楽ばかりです。

(こんなこと書くのでなかなか話が終わらない・・・・・)

(反省)

さまざまなちっちゃなエピソードと紆余曲折を越えて
何とか全員時間通り公園に集合することができました。
知らない街でいい経験になったと思います。

すると・・・・
当然・・・・
お昼御飯です。


すごいですよね。
老若男女問わずこの量です。

いくらここまで6000歩
歩いたとはいえ・・・・・

私はまたしても「ごめんなさい。」でした。
結局旅行中一度も完食できませんでした。

しかしながら子供たちは、おかわりがない、と聞いて
「え~。」と声を上げていました。
私からすると、恐るべし驚異の胃袋・・・・・・です。

その後「いおワールド」にて買い物をしたり、
イルカショーを楽しんだりして、
一路三股町へ。



「我が胸の 熱き思ひに 比ぶれば  煙は薄し 桜島山」
まさにそうですね。
日本全国で愛され、それまで400年にわたって敵対してきた
「薩摩」の代表である「西郷先生」をしたって「飫肥藩」から多数の
援軍を出すほどの人物を「西郷の乱」とかいって
賊軍にできなかったのでしょうね。



このあと、ガイドさんの用意してくださった
ちょっとしたプレゼント争奪戦の
じゃんけん勝負。
この時が一番盛り上がったように思いました。

以上ながながと6回にわたりお送りした
「私の見た修学旅行」でした。

ちなみに運動会閉会式で流した行進曲「祝典」
は、「團伊玖磨」先生です。

えっ 知らない????
もう~。
(牛になった校長)
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修学旅行5


西南戦争続き・・・・・

これまでの日本国内の戦争・内乱・騒乱はほとんどが
おこった「場所」か「元号」か「名前」で表現されています。

例えば、
「島原の乱」「佐賀の乱」「桜田門外の変」「生麦事件」(場所)
「安政の大獄」「戊辰戦争」「文永の役」(年号)
「伊達騒動」「江藤新平の乱」「シーボルト事件」「平将門の乱」(人名)
等です。

事実、このへんのご高齢の方々は
「さいごゆっさがあっせ・・・・・」
(西郷さんのいくさ)
と人名を冠した呼び方をなさいますし、
飫肥藩の「小倉処平」は「西郷先生の後を追う・・・・・」
といって出陣していきました。

なぜ「西南の役」だけ「方角」が使われるのか・・・・・

お判りいただいた方はぜひ「三股町郷土史研究会」まで
ご一報下さいませ。

というようなことを考えながら黎明館を歩いておりましたら
ある場所で足が止まり、思わず涙が出そうになりました。

まだ、かわいかった幼小のみぎり
(自分で言わないと誰も言ってくれない・・・)
小さな僕を膝の上にのせて背中をトントンしながら
母だか、祖母だか、近所のおばちゃんだかが、
歌っていた歌・・・・・
「いちかけ、にかけ、さんかけて・・・・
 しかけ、ごかけではしをかけ・・・・」



こんな歌です。
若干のセリフの変化はあるものの
日本全国あちこちで歌われているらしく、
事実私の小さなころの記憶にもありますし、
しばらく立ち尽くしておりました。

小さなころの記憶といえば・・・・・
鹿児島県立博物館で、
「ちょうには まけん蛾」という企画展がありまして・・・・
(本当ですよ。私の親父ギャグではありません。)



でました。
「モスラ」
といったら受付の方が
「???????」
慌てて説明しましたが・・・・

「ほら、手のひらにのるくらいの
 小さな双子のお姉さんが、
 モスラやモスラ、ドゥンガン カサクヤン インドゥムウ・・・・
 と歌うと、南の空から飛んできて
 ゴジラを鱗粉攻撃でやっつけて
 地球の平和を守るっていう・・・・・」

通じませんでした。

残念。
まだまだ続く・・・・次は昼飯。
(校長)
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修学旅行4


なんとかかんとか、フォークとナイフを使いこなして
その後は、楽しい、楽しい旅館でのひと時です。
修学旅行の思い出は?
と聞かれて多くの子たちが「旅館」と応えます。
12時すぎまでわいわいしながら、先生方に注意されつつ、
楽しいひと時を過ごしていたようです。

しかしながら・・・・・
夜が明ければ当然朝が来るわけで・・・・・

当然のごとく、出ました。


朝ごはんです。
この量は、私にとって「ディナー」といってもいいくらいなのですが、
牛乳3本飲む子がいたり・・・・
納豆5パック、・・・・
ご飯おかわり・・・・・

育ち盛りの子供たちの食欲は想像を絶します。

「ごはんじゃねえとはらがもたん。」
と中学生が言うのも納得です。
はやくご飯が1食増えるといいですね。

その後、満腹のお腹を抱えて「魚類市場」の見学です。



既に「せり」は終わっており、
魚が少なくなっていたのは残念ですが、
担当の方が親切に説明してくださり、
ここで。2000歩ほど歩けました。

となると、次は待ちに待った「自由行動」・・・

違った、「班別自主研修」です。


西郷さんの銅像の隣の公園に12時集合ということで
それまでは、それぞれの班で自主研修です。

私は、・・・・
といえば「数ある日本の戦乱の中でなぜ西南戦争だけが「西南」という方角が名前についているのか?」
という長年の疑問を解決できないか?
と思ってあちこち子供の様子を見ながら
さるきまわっておりました。

・・・・・・


長くなるので次にします。
(校長)
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修学旅行3


鶏飯でいっぱいになった胃袋が
平川動物園での6000歩にわたる歩行訓練のおかげで
多少は空になったかと思いきや
ホテル「福〇」さんに到着し
晩御飯です。



とっても豪華でリッチな晩御飯ですが、
ここでひとつ問題が、・・・・・・

「♪ とかいではあ、じさつするう わかものがあ
 ふえてるがあ、ここでの~ もんだいはあ
 ああ「はし」がない~。」

思わず陽水の歌が聞こえてきました。

そうです。
傘がないのではなく、
テーブルマナー講習会を含めての晩御飯ということで
テーブルには「はし」の代わりに「フォークとナイフ」が・・・・
ち~んと座っておりました。




いつもはやんちゃなお子様たちも、
「こいつは、どうやって使うんだったっけ?」
と周りをきょろきょろして、情報収集しながら
四苦八苦しての食事となり、
「あ~そんままくいてえ。」
とか言っておりました。

わたしは、といえばやっぱり
「ごめんなさい。」
でした。
とても60歳の年寄りの食べれる量ではありませんでした。
(校長)
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修学旅行2


お昼ご飯の後、一行は平川動物園へと進みます。

知覧に引き続き、ここ平川でも一堂に会しての記念撮影です。



記念撮影のいいところは、全員一緒に写れることで、
5年後、10年後とか、同窓会とかで見るときには
わいわいとにぎやかに思い出話に花が咲き、
それはそれでいいのですが、
昔、ピューリッツァー賞を撮りたいと思い、
篠山紀信にあこがれた私としては、
なんだか物足りない・・・・・・

「ハート」君か「アヤメ」さんか「アヤト」君なのか
私には区別がつかないのですが、
右後ろにいるはずのキリンさんの表情が分かる
せめてこのくらいの距離で・・・・・



ちなみに、先ほどの集合写真の私は、というと・・・・・



科捜研の「マリコ」さんの応援がいりそうです。

(校長)
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